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出来ないことが恥ずかしいのはなぜか

【みんなが出来るのに出来ない】

 

 

周りのみんなが出来ていて、

自分だけが出来ていない。

そんな状況を思い浮かべたとき

どう感じますか?

ヨガのクラスでは、

「恥ずかしい」と感じる人が

ほとんどのようです。

時には

「出来ていなくてごめんなさい」と

謝られる方もいらっしゃいます。

でも、ヨガの時間は

自分と向き合う時間なので

出来なくたって構いませんし、

申し訳なく思う必要もありません。

なのになぜ、

恥ずかしいと思ってしまうのでしょう。

(膝が曲がっちゃう~)

【スワヒリ語は話せますか】

 

 

さて、あなたはスワヒリ語は話せますか?

もちろん話せる人もいるかもしれません。

ではラテン語は?

サンスクリット語は?

どれかは話せないのではないでしょうか。

話せないことに対して、

恥ずかしいと思いますか?

ほとんどの方は

「特に恥ずかしくはない」のでは

ないでしょうか。

出来ないけど、

恥ずかしくはない。

先ほどとは違いますね。

先ほどは

「周りのみんなが出来ている」

という状況でした。

対して今度は

「スワヒリ語」

「ラテン語」

「サンスクリット語」

という日本では

メジャーではない言語なので

話せる人はわずかです。

恥ずかしいか恥ずかしくないかは、

周りに影響されるんですね。

「みんなが出来ている」ことに比べて

「自分は出来ない」は、

自分の価値がみんなより下に見えるんです。

逆に

「みんなも出来ない」または

「出来る人はわずか」ということに対して

「自分も出来ない」は

自分の価値がみんなと同等くらいです。

自分の思う

「自分の価値」が

変わっていますね。

(みんな違うね)

 

【出来ないことはただの事実】

 

 

「出来ない」ということは同じでも

「周りがどうなのか」によって

自分の価値が変わってしまう。

とても不思議だと思いませんか。

だから、ヨガレッスンでは基本的に

「みんなと比べないでね」と

伝えられるのです。

ただ私は、比べること自体は

「構わない」と思っています。

比べて落ち込んだり

自分の価値を下げるのは

必要ないと思います。

けれども、

比べて自分の立ち位置を知ったり

どういう状況にいるのかに気づくのは

時に必要なこともあります。

股関節の可動域が90度だと思っていたら

実はもっと開く可能性があったんだ、とか。

片足で立つバランスは

10秒持てばいいと思っていたら

もっと立っていられるんだ、とか。

まだまだ可能性があり、

楽しみがあることに気づくのは

比べて初めて知ることでもあります。

「私はいま、この状態だけれど、

まわりのみんなみたいに

こうなれるのかも知れない」

という希望にするのが、

一番おすすめの比べ方です。

恥ずかしいと思ってしまうなら

比べないように気を付ければいいですし、

希望になるなら

大いに比べればいいのです。

せっかくなら、

楽しい時間の過ごし方を

選んでみてはいかがでしょう。

どうしても恥ずかしいと思ってしまうなら、

お話をお聞きします。

ヨガ哲学を用いてのコンサルティングを

お選びください。

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