【抱えている重荷を下ろせない】
日常を過ごしていると
様々なことが起こります。
中には心に重荷となることも
起こることがあります。
すぐ下ろすことが出来れば問題ないのですが、
いつまで経っても重荷として
抱えざるを得ないこともあります。
例えば私は13年ほど事務員をしていましたが、
貯金も出来ていなかったので
「このままずっと事務員として
働かなければならない」
と思っていました。
未婚のころは、
「実家の家族を私が養わなければならない」
とも思っていました。
他にもいろいろありました。
(重い荷物を背負って人生の山を登る)
【何かと同一視している】
さて、あなたは何者ですか?
と聞かれたら、なんと答えますか?
「名前は○○です」
「職業は会社員です」
「女性です」
「○○の息子です」
「○○の友人です」
など、これまで歩んできた人生に
付随することを答えることが多いです。
でもヨガ的に考えるならば、
「私は○○である」
というのはたいてい、
何かと同一視していることになります。
私の場合だと
「私」と「前川衣里子」という名前と。
「私」と「ヨガインストラクター」という職業と。
「私」と「女性」という性別と。
「私」と「娘」という家族構成と。
「私」と「妻」もそうですね。
↓↓↓
(夫と)
【フィルターを外す】
では、名前、職業、性別、家族構成などの
フィルターとなっているものを外したとき、
「私」は何者なのでしょう。
その答えの前に、経験をお話すると。
1、私が「事務員」という
フィルターを外したとき。
事務所にこもって事務仕事をすることが
苦痛で仕方なかったのに、
事務員を抜けられなくて苦しんでいました。
けれどヨガインストラクターの道もあると
気づいたことでフィルターを外すことが出来、
好きなこと、自由な生き方を
することが出来ました。
2、「娘」というフィルターを外したとき
立場が変わらなくても
フィルターを外すことは出来ます。
「実家の家族を養わなければならない」と
「娘」であることを強く意識していましたが、
「娘」とは言え、親とは別の人間。
客観的に見たとき、
「私が養うしかない」という道以外にも
方法を見出だすことが出来ました。
これは色々な人の
力添えがあってのことでしたが、
「誰かの助けを借りる」ということを
思い付きもしていませんでしたから、
「私」=「娘」=「養う責任」から
解放されました。
「私」は「私」。
「娘」はあとから付随したもの。
「娘」らしく振る舞うことはいいけれど、
苦しむために生まれたのではない。
と分かったことで、
荷物を下ろせました。
(かるーい)
【荷物はいつでも下ろせる】
生きてきた途中に背負ってきた荷物は
いつでも下ろせます。
ただ、「私」と別のものを
同一視していることに気づくだけです。
手段としては、ヨガをするか、
コーチングを受けることが早いです。
何を背負っているのか、
何故背負っているのか、
何故下ろせないと思っているのか。
気づくために受けてみてください。
本当は、みんな気づけるはずなんです。
あなたの心が軽くなりますように。
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