『桐島、部活やめるってよ』を観て知ることの出来た幸せ

2013年に公開されていたらしい映画
『桐島、部活やめるってよ』を
やっと観ました。

この映画を観て、
他の人のレビューを読んだら
私の手からこぼれ落ちていた幸せに
気づくことができました。

悲しみ、苦しみ、切なさは
鋭い爪を持っていて、
くっきりと傷をつけるから
そこに意識が向きやすいんです。

けれど、幸せってサラッとしているから
知らぬ間に流れて行っちゃうんだなと
思いました。

その理由を書いていきます。

 

【終わりまで観ても分からなかった】

 

 

 

この映画はアカデミー賞で三部門
受賞されていましたよね。

タイトルに『桐島』という名があるにも
関わらず、なぜか本人は
ほとんど登場しないという。

そして登場しても顔も分からない…

などということは、予告や告知などから
私も知っていました。

ただ、観てみた個人的感想は、
『ん?良く分からない』でした。

なぜアカデミー賞受賞なのか、
なんでこんな終わり方なのか、
みんなどこに響いたのか、
全然分かりませんでした。

【色んな人のレビューを読んで】

 

 

そこで、観た人たちが
どんな感想を持ったのか、
何に感動したのかを調べてみました。

すると、興味深いことが。

それぞれの評価が
星1か、または星4か5…と、
「良い」「悪い」に分かれていたのです。

星3(普通)と2(やや悪い)評価は
ほとんどありませんでした。

星1つの人たちは、
私と同じように「分からない」
という感想でした。

じゃあ、4or5の人たちは
何に共感したのか。

読んでみると、
それぞれがそれぞれの
人生経験(生徒経験)を思い出した、
というのです。

「私もこんな気持ちだった」
「こんな経験をした」
「こういう学校生活だった」
というもの。

この映画にはわりとたくさんの
生徒たちが出てきます。

それぞれの目線の気持ちが
確かによく表れていました。

映画に共感した人たちは、
映画の役のどこかしらに
自分を重ねたのでしょう。

その悲しみ、苦しみ、切なさに
共感し、表現された方法に
感動したようです。

【実は幸せだった】

 

 

そのレビューを読んだら、私は
「良い」という評価を「理解」しました。

でも、「共感」はしませんでした。

なぜなら、私には
この映画に出てくるような
悲しみ、苦しみ、切なさを
経験していなかったからです。

ちなみに、私の学校生活は
順風満帆だったかと言うと、
そうでもなく、
どちらかと言うと悩み事だらけでした。

でも、その悩み事はこの映画には
出てきませんでした。

その他の、様々な悩みが
表現されていたのです。

そこで気づきました。

□私は生徒だった頃、
「なぜ私がこんな目に遭うのだ」と
嘆いていたけれど、
この映画の登場人物たちが味わった
悩みたちを経験せずに済んでいたのだ。

□人々にはたくさんの悩みの種類があり、
私が経験したのはその一部だった。

□もっともっとたくさんある悩みたちを
経験せずに済んでいたという
幸せに気づいていなかったのだ。

ということに。

悲しみ、苦しみ、切なさは
鋭い爪を持っていて、
くっきりと傷をつけるから
そこに意識が向きやすいんです。

けれど、幸せってサラッとしているから
知らぬ間に流れて行っちゃうんだなと
思いました。

きっと、気づかぬうちに手に入れていた
幸せは、たくさんあるのでしょう。

気づけないと、意識を向けないと、
どんどんこぼれ落ちていってしまいます。

あなたはいかがでしょうか?

当たり前に目の前にあることは
何ですか。

何不自由なく出来ていることは
何ですか。

目の前の、手の中の幸せに
気づいてみてください。

分からないときは
オラクルカードカウンセリングで
お話をお聞きします。

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