私たちはなんで生まれてきたのだろう。
なぜ、生きているのだろう?
そんなことを私は幼稚園くらいから考えていました。
幼稚園がカトリックだったこともあり(でもうちは無宗教)、神様とか命とかいうものに関心がありました。
私は「神様」という名称はさておき、見えない大きな力はあると当たり前に思っています。
それが何という名前で呼ばれるかの違いだと思っています。
ストーリーが気に入れば、特定の神様の名前を唱えてお祈りすることもあります。
でもだからと言って「神様はいるんだよ」と人に押し付けることはしません。
信じる信じないは自由ですから。
ただ、大きな力があることを信じてみると、楽しいよ、とは思います。
「あ、いま助けてくれたなぁ♬ありがとうございます😊」って感謝できますし。
さて、その、生きる理由ですが。
段階的に生きてみるのはいかがでしょうか。
1、まずは、自分のため。
自分に優しくし、やりたいことをやる。
(気をつけたいのは、人をキズつけてまでやる、というのとはちょっと違います)
2、満たされてきたら、今度は人のために生きる。
これは、自分を犠牲にする訳ではありません。
人の喜びが自分の喜びになる生き方です。
3、それも満たされてきたら、今度は世の中、世界のために生きる。
これも、自分のためであり、人のためであり、世の中のためになること。
4、そして、最後に神様のために生きる。
自分の喜びであり、人のためになり、世の中のためになり…を続けていたら、最後に行き着くところですね。
…と言いつつ、私もまだ途中段階ですから、こう生きたいなぁ…という希望でもありますが。
使命とは、何のために生きているのか、何故生まれてきたのか、の理由に当たります。
こうして段階的に生きてみると、自分が心から喜べる生き方で、かつ人のため、世のため、見えない力のためになると生き甲斐に感じることが出来るんですね。
私は今のところ第二段階ですが、すでに楽しいですし、生き甲斐を感じています。
生きる理由が見つからないときには、まずは第一段階から試してみてはいかがでしょうか。
みんなが、楽しく生きられることを願います。
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